南極の海は、氷が浮かぶほど冷たく、水温は−2℃近くにもなります。ところが、そんな海でも凍らずに泳いでいる魚がいます。魚の体は、なぜ凍らないのでしょうか。
ふつうの海の魚の体液は、海水より先に凍ってしまいます。南極のノトテニア類と呼ばれる魚の仲間は、血液の中に不凍糖タンパク質(AFGP)という分子をもっていて、体に入った小さな氷の結晶にくっつき、その成長を止めることで、体が凍るのを防いでいます。塩や砂糖を溶かして凍りにくくするのとは、別の仕組みです。氷点下の海で魚が凍らない理由と、この分子の成り立ちを、SOLBOY DIVE CENTERがご紹介します。
魚の体液は、海水より先に凍る
2021年の論文によると、海の硬骨魚の体液は海水より塩分が薄く、溶けている物質の量で決まる凝固点は、ふつう−0.7〜−1.0℃です。海水の凝固点は−1.9℃なので、魚の体液のほうが高い温度で凍ります。魚の体液の凝固点より冷たく、しかも氷のある海では、魚は周りの氷から体液が凍っていくのを避けられません。
北海道大学低温科学研究所の研究者による2020年の解説によると、氷に覆われた極地の海の魚の体温は、海水の凍る温度(約−2℃)と同じはずですが、それは血液の凍る温度(約−1℃)より低くなります。そのため血液は、凍らないまま冷えた「過冷却」の状態を保たなければなりません。その差、およそ1℃分の凍結を抑えているのが、不凍糖タンパク質です。
凍る温度と溶ける温度に差を作る分子
2019年の日本の論文誌の解説によると、魚の不凍物質は、1969年に米国イリノイ大学の Arthur DeVries 教授が、南極海にすむ魚の血清から見つけました。1971年の研究では、南極の魚の血清は−2℃で凍り、それは血清が溶ける温度より約1℃低い温度でした。この凍る温度と溶ける温度の差は、血清の中の糖タンパク質によるものでした。
この差は「熱ヒステリシス」と呼ばれます。2020年の解説によると、不凍糖タンパク質を含む水を冷やすと、凍る温度は本来の融点より低くなりますが、凍った氷を温めても、融点までは溶け始めません。その温度の範囲では、冷えた水の中に氷の結晶があっても、それ以上は成長しません。
塩や砂糖を溶かすと水は凍りにくくなりますが、これは溶けた粒の数で決まる効果です。同じ解説は、不凍糖タンパク質はそうした効果ではなく、別の仕組みで凍結を抑えていることが明らかだとしています。1977年の研究は、氷の中の不凍物質の濃さの測定と電子顕微鏡の観察から、不凍物質が氷の表面にくっついて成長を妨げると結論しました。
糖のついた鎖のような形
2021年の論文によると、不凍糖タンパク質は、トレオニン、アラニン(またはプロリン)、アラニンの3つのアミノ酸に糖がついた単位が繰り返しつながった分子です。繰り返しの数は種によって4から55以上まであり、大きさの違う分子の集まりとして存在します。2020年の解説は、4〜50個の単位がひものようにつながった分子と説明しています。極地の魚の血液には、この分子が数mg/mLの濃さで含まれています。
2023年の論文によると、不凍糖タンパク質の遺伝子は、たくさんの分子がつながった長い材料を作り、あとでつなぎの部分が切り取られて完成した分子になります。こうしてできた分子が、体に入ってきた氷の結晶に結びついて、氷の成長を止めます。
氷のどの面にくっつくのか
くっつき方は、詳しく調べられています。2020年の解説が紹介する実験では、光る印をつけた不凍糖タンパク質を冷えた水に入れて顕微鏡で観察すると、氷の結晶の側面にあたるプリズム面に分子がくっつき、その面の成長が抑えられたり止まったりしました。
ただし、まだ分かっていないこともあります。分子がプリズム面にいったんくっついたら離れないのか、くっついたり離れたりするのかには議論が残っています。国際宇宙ステーションの「きぼう」での実験では、不凍糖タンパク質が、氷の底面にあたるベーサル面の成長をむしろ速めることが見つかりましたが、その理由の説明はまだ仮説の段階です。
「凍らない」魚の体の中にも氷がある
「凍らない」といっても、体の中に氷がひとつもないという意味ではありません。2020年の解説によると、過冷却の状態の魚の血液をとって顕微鏡で見ると、小さな氷の結晶がたくさん見られますが、それ以上は成長しません。
2014年の研究によると、不凍物質で安定した氷は、本来の融点より高い温度になっても溶けにくくなっていました。生きた魚の体の中では、融点より1℃以上高い温度でも、氷が少なくとも24時間残りました。野外の調査では、こうした溶けにくい氷が野生の魚の体の中に自然にあることも確かめられています。研究者が南極のマクマード湾の浅い海底で1999〜2012年の水温を記録すると、夏の水温は多くの年で魚の融点を超えましたが、実験で体内の氷が残った最高の温度を超えることはありませんでした。研究者は、凍結を防ぐ利点の裏で、体の中の氷が一生たまり続けることにつながるかもしれないと考えています。
体の守り方は、成長の段階でも違います。2006年の研究で南極のノトテニア類3種の仔魚を調べると、成魚と同じくらい多くの不凍物質で守られていたのは Pagothenia borchgrevinki だけでした。Gymnodraco acuticeps の仔魚の血清はふ化のとき−1.34℃で凍り、ふ化後147日までに成魚の値の−2.61℃に達しました。周りの海水は−1.91℃でした。不凍物質が足りない仔魚では、傷のない皮膚やまだ発達していないえらなど、氷が入るのを防ぐ体の壁が役立っているのかもしれません。
肝臓ではなく、膵臓で作られる
不凍糖タンパク質は、かつては肝臓で作られて血液に入ると考えられていました。ところが2006年の研究によると、南極のノトテニア類では、どの成長段階でも肝臓では作られておらず、膵臓が主な生産の場所でした。膵臓で作られた分子は管を通って腸に入り、飲み込んだ氷から腸の中の液が凍り始めるのを防いでいます。
消化酵素の遺伝子から生まれた
不凍糖タンパク質は、どのようにして生まれたのでしょうか。1997年の研究によると、南極のノトテニア類の不凍糖タンパク質の遺伝子は、膵臓で作られる消化酵素の材料、トリプシノーゲンの遺伝子から進化しました。トリプシノーゲンの遺伝子の一部にあった9つの塩基が新たに繰り返し増えて、不凍糖タンパク質の繰り返しの部分ができたのです。2021年の論文は、氷と結びつく繰り返しの部分の配列は、新しく生まれたものだと述べています。
いつ生まれたかの推定は、研究によって大きく違います。1997年の研究は約500万〜1400万年前と推定し、以前の推定は4200万〜2200万年前、2023年のゲノムの研究は2630万〜1070万年前としています。2023年の論文は、この遺伝子の出現を、ノトテニア類が南大洋の氷点下の海で生き延びることを可能にした、おそらく最も重要な変化だったと評価しています。ノトテニア類は南大洋の魚の中で種類の数も量も多く、130〜140種を含む仲間です。
北極の海にも、ほぼ同じ不凍糖タンパク質をもつ魚がいます。北極のタラの仲間です。1997年の別の研究によると、北極のタラの遺伝子はトリプシノーゲンとは関係がなく、南北の魚はそれぞれ別の起源から同じような分子にたどり着きました。これを収れん進化と呼びます。
温かい海に出た仲間では、遺伝子が壊れていく
遺伝子の数は種によって違います。2023年の論文によると、マクマード湾にすむ Trematomus bernacchii は、調べた種で最も多い24コピーの遺伝子をもち、少なくとも11個は働くとみられます。南大洋の中で緯度の低い側にすむコオリウオの仲間 Pseudochaenichthys georgianus では15個のうち8個が完全な形で、研究者は、働かなくなったコピーが増えていくのは、多くの分子を作り続ける必要が弱まったことと合うと解釈しています。
2003年の研究によると、ニュージーランドの温帯の海にすむ Notothenia angustata と N. microlepidota は、南極の仲間と同じつくりの遺伝子を2〜3個もち、そのうち少なくとも1つはまだ働いていて、血液に少しだけ分子が見つかりました。南米のパタゴニアなどにすむコオリウオの仲間 Champsocephalus esox では、2023年の論文によると遺伝子の多くが働かない状態になっていて、祖先が南極を出た後に、遺伝子を保つ必要が弱まったためとみられています。
よくある質問
南極の魚の体には、氷がまったくできないのですか?
いいえ。血液の中に小さな氷の結晶があっても、不凍糖タンパク質がくっついて、それ以上成長しないようにしています。野生の魚の体の中にも、溶けにくくなった氷があることが確かめられています。
塩や砂糖で凍りにくくなるのと、同じ仕組みですか?
違います。塩や砂糖は溶けた粒の数で凍る温度を下げますが、不凍糖タンパク質は氷の表面にくっついて成長を抑えます。氷が成長し始める温度と溶ける温度のあいだに差が生じ、体内の氷を溶けにくくする働きも報告されています。
北極の魚も同じ分子をもっているのですか?
北極のタラの仲間は、ほぼ同じ不凍糖タンパク質をもっていますが、遺伝子の起源は南極の魚と別です。南北の魚が、それぞれ別々に同じような分子にたどり着いたと考えられています。
まとめ
海の魚の体液は、ふつう海水より先に凍ります。南極のノトテニア類は、膵臓で作る不凍糖タンパク質を血液や腸にもち、体に入った氷の結晶にくっついてその成長を止めることで、−2℃近い海でも体が凍るのを防いでいます。
この分子は消化酵素の遺伝子の一部から生まれ、北極のタラの仲間は別の道筋で同じような分子を手に入れました。分子が氷にくっつく細かな仕組みや、生まれた時期については、今も研究が続いています。