大きなクジラが死んで深い海の底に沈むと、その周りに、ほかでは見られない生き物の集まりができるといわれます。本当に、クジラ1頭から一つの生態系が生まれるのでしょうか。
深海底に沈んだクジラの遺骸の周りには、「鯨骨生物群集」と呼ばれる独特の生き物の集まりができることが、海底での発見と、遺骸を沈める実験で確かめられています。この集まりは一度できたら終わりではなく、遺骸が食べ尽くされ、骨が分解されていくのに合わせて、住む生き物が段階的に入れ替わっていきます。ただし、自然に沈んだ遺骸が見つかった例はまだ多くありません。深海でのクジラの遺骸の「その後」を、SOLBOY DIVE CENTERが日本の研究機関の調査を中心に描き出します。
深海に一度に届く、最大の有機物
深海には、表層から有機物の粒が少しずつ沈んできます。それに対し、クジラなど大型の海の哺乳類の遺骸は、一度に深海へ届く有機物として最大のものです。体が大きく、とくに骨に脂質が多いため、エネルギーの乏しい深海で、さまざまな生き物を長く支えます。
海洋研究開発機構(JAMSTEC)の解説によると、この生物群集は1987年にアメリカのカリフォルニア沖で発見されました。周りの深海底に比べて生き物の量が非常に多く、多くの固有種からなります。日本近海では、1992年に有人潜水調査船「しんかい6500」が、鳥島沖の水深4,037mで鯨骨生物群集を見つけています。
とはいえ、自然死したクジラの遺骸にできた鯨骨生物群集が見つかった例は、2016年の発表の時点で8例しかありませんでした。日本で見つかった鯨骨生物群集も、2009年の時点で、鳥島沖の1か所を除いて、研究のために人が沈めた遺骸のものでした。
4つの段階で、住む生き物が移り変わる
JAMSTECの解説では、鯨骨の生態系は時間とともに移り変わり、4つの段階を示すと説明されています。
- 腐肉食期:サメや甲殻類など、動き回って腐った肉を食べる動物が集まり、軟らかい組織を食べます。
- 骨浸食期:骨を利用する生き物が、骨を分解します。
- 化学合成期:骨から出る硫化物などに頼る生態系ができます。
- 懸濁物食期:栄養を使い尽くした骨をすみかにして、水中の粒子を食べる動物が集まります。
化学合成期のエネルギーのもとは、骨に含まれる脂質などの有機物が、酸素のない状態で微生物に分解されるときに出る硫化物です。2007年の日本の解説によると、とくに硫化物に頼る期間が長いため、鯨骨生物群集は、熱水噴出孔や湧水の生物群集と同じ「化学合成生物群集」の一つに数えられています。
ただし、これらの段階はきれいに区切られるものではありません。2015年の総説では、群集は重なり合う段階を経て移り変わり、その段階は遺骸の大きさ、水深、環境の条件によって変わるとされています。深海では骨が数十年以上残るといわれ、水温が低く腐敗が遅いほど、生き物が利用できる期間も長くなると解説されています。
遺骸に集まる生き物には、有機物ならなんにでも集まるゴカイやヨコエビなどの種類と、脂質の多いクジラの骨に適応した種類がいます。後者の代表が、ホネクイハナムシの仲間です。
骨を食べるゴカイの仲間、ホネクイハナムシ
ホネクイハナムシの仲間(Osedax)は、鯨骨に現れるゴカイの仲間です。メスには口も腸も肛門もなく、体の下の部分にある「根」を骨の中に張り巡らせて骨を消化し、根から栄養を吸収します。根の中にいる共生細菌も栄養の代謝に関わっているかもしれませんが、その役割はまだ確かではありません。
日本のホネクイハナムシについての解説では、骨の上で赤い花のように見えるのはメスで、オスは体長1mm未満の小さな体でメスにくっついて暮らします。幼生が骨に着底するとメスになり、メスの上に着底するとオスになると説明されています。
この仲間は、2004年にアメリカのモンテレー湾の深海の鯨骨から新しい属として記載されました。日本では、鹿児島県の野間岬沖の水深約200mに沈めたマッコウクジラの遺骸から新種が見つかり、2006年に Osedax japonicus(ホネクイハナムシ)として記載されています。2017年の研究によると、この種は実験室で何世代も飼育でき、根の表面の細胞では、タンパク質を分解する酵素の遺伝子が12個はたらいていました。骨を溶かす仕組みについては、分泌した酸で骨の無機成分を溶かすという提案もあります。
2007年の日本の解説では、ホネクイハナムシの仲間は鯨骨の環境以外では生活できないと考えられていました。その後、2011年の研究で、硬骨魚の骨を水深約1,000mに沈めると、鯨骨にもすむ3種がついたことが報告され、著者らはこの仲間が鯨骨だけの専門家ではないと考えています。2017年の研究も、自然の条件では鯨骨だけにすむ一方、実験の条件ではほかの脊椎動物の骨にも定着できるとしています。また、北海の水深125mに沈めたクジラの骨からも新種が見つかり、それまで深海でしか記録がなかったこの仲間が、大陸棚の深さでも暮らせることが分かりました。
鯨骨にすむ、ほかの珍しい生き物
ヒラノマクラは、鯨骨に固有のイガイ科の二枚貝です。えらの細胞の外側に2種類の共生細菌をもち、2010年の研究では、化学合成とほかの栄養のとり方を組み合わせていることが示されました。近い仲間の Adipicola crypta では、共生細菌はえらの細胞の中にいて、化学合成に頼っていました。
ゲイコツナメクジウオは、沈んだ鯨骨の真下の砂から見つかった、知られている中で最も深い所にすむナメクジウオの仲間です。2003年7月、野間岬沖の水深229mで、腐敗しつつあるマッコウクジラの骨の真下から26個体が採集されました。
日本の海で行われた、遺骸を沈める調査
日本の鯨骨の研究の多くは、遺骸を沈めて経過を追う調査です。2002年2月には、九州の南西岸に打ち上げられて死んだマッコウクジラ12頭が、鹿児島県の野間岬沖の水深約200〜250mに沈められ、2003〜2005年の3年間にわたって調べられました。2005年の調査では、鯨骨から5m離れた海底にも、鯨骨の真下と同じ微生物の組み合わせが広がっていました。
相模湾の水深925mに2005年に沈めた遺骸では、2年8か月後に肋骨に大量のホネクイハナムシの仲間がつき、イガイ科の二枚貝も少し現れました。
浅い海では、深海と同じにはなりませんでした。東京湾の水深約5mの海底に置いた鯨骨では、1年後、周りに化学合成に頼る動物はまったくいませんでした。ただし、鯨骨の表面からは、硫黄細菌を共生させる繊毛虫が見つかり、研究者らは、鯨骨が沿岸でも化学合成の生態系の基盤になりうることが分かったと解説しています。
熱水や湧水の生き物の「飛び石」になる?
JAMSTECの解説は、熱水噴出域や湧水域にすむ生き物が、クジラの遺骸を「飛び石」にして世界へ分布を広げると説明しています。ただ、この考え方は仮説として扱われてきました。2007年の日本の解説では、鯨骨の動物の子孫がほかの化学合成の環境に定着した証拠が当時はなく、真偽は定かでないとしていました。2015年の総説は、鯨骨が熱水や湧水のイガイ類にとって進化の飛び石になり、ほかの生き物の種分化も促した可能性があると述べています。
2013年4月には、ブラジル沖の、当時世界最深となる水深4,204mの海底で鯨骨生物群集が見つかりました。大西洋で初めての発見で、JAMSTECの発表によると骨はクロミンククジラの尾の骨9個だけで、劣化の様子から海底に5〜10年あったと推定されました。ゴカイの仲間28種、コシオリエビ数種、巻貝2種、ホネクイハナムシの仲間1種など少なくとも41種が確認され、その多くが新種でした。北東太平洋の鯨骨や熱水・湧水の生き物と共通する属もいくつかありました。JAMSTECは、この発見を化学合成生物群集の分散と進化の謎を解く鍵と位置づけています。
よくある質問
鯨骨生物群集は、どのくらいの深さで見つかっていますか?
日本で調べられてきたものは、野間岬沖の水深約200〜250m、相模湾の925m、鳥島沖の4,037mなどです。東京湾の水深約5mに置いた鯨骨では、1年後も化学合成に頼る動物は見られませんでした。
ホネクイハナムシは、クジラの骨しか食べないのですか?
自然の条件では鯨骨にすみますが、実験では、沈めた硬骨魚の骨にも3種がつきました。2007年には鯨骨以外では生活できないと考えられていましたが、その後の研究で見方が変わっています。
鯨骨の生態系は、どのくらい続くのですか?
深海では骨が数十年以上残るといわれ、水温が低く腐敗が遅いほど長く利用されると解説されています。段階の長さは、遺骸の大きさ、水深、環境の条件によって変わります。
まとめ
深海底に沈んだクジラの遺骸の周りには、鯨骨生物群集と呼ばれる独特の生き物の集まりができます。腐った肉を食べる動物、骨を分解する生き物、硫化物に頼る化学合成の生き物、骨をすみかにする動物へと、段階が重なり合いながら移り変わります。
ただ、自然に沈んだ遺骸が見つかった例はまだ少なく、日本の研究の多くは遺骸を沈めた調査です。鯨骨が熱水や湧水の生き物の飛び石になるという考え方も、仮説として検討が続いています。